
京津線の三条通併用軌道が姿を消してから,早くも15年になろうとしている。しかし開通から1931(昭和6)年頃までは,古川町(東山三条)-蹴上間は三条通北側の専用軌道を走行していた。現在も神宮道以東ではその跡を辿ることが可能であるが,道幅はだいぶ狭められている。

旧軌道敷は蹴上発電所の西端で三条通に合流するが,蹴上インクラインの跡は桜が満開であった。大戦末期までは,蹴上はインクラインに加えて,京津線が右手から正面に走り,左側では市電蹴上線が折り返すという,軌道密度が高い地点であった。市電蹴上線は1945年2月に休止されたが,書類上は1965年7月まで生き残っていた。(2012.4.14)

日本国内のテレビジョン放送の大勢は,2011年7月25日を期してデジタルに移行したが,福島・宮城・岩手の被災3県では,生活情報等のニーズが高い一方で,中継施設の再建やテレビの再購入にまで手が回る状況ではなかったため,アナログ放送の停波を最大約8ヶ月間延期することになった。
画像は猶予期間終了に伴い,3月31日午後に流された「青画面」の例である。SONYのロケフリにより静岡県で受信したものだが,リモコン学習機能の無いPK1も同日を以って引退となった。JOIR-TVは1959年4月に放送を開始した,東北地方最古の民放局であり,本局の映像周波数91.25MHz,音声周波数95.75MHzであった。
日本のTV Ch.1~3の帯域(VHF 90~108MHz)は国際的にはFM音声放送に割当てられる場合が多いが,日本では「
移動体向けマルチメディア放送」に割当てられる。
「東日本大震災」から1年。地震・津波だけなら自然災害として受忍せざるを得ない面もあるが,原発事故の複合が問題を複雑化・長期化させ,復興を困難にしている。
「復興庁」を設置しただけ,阪神・淡路大震災の時よりマシかも知れぬが,前例となる「帝都復興院」が関東大震災発生の月内(1923年9月)に発足したのに対して,今回は設置までに11ヶ月を要し,港区赤坂1丁目という立地にも緊張感が感じられない。他省庁に近い方が便利,国会待機が必要など役所の論理は解るが,国会でテレビ答弁を認めれば済む話で,これでは東京1極集中は永久に解消できない。集中に伴う混雑外部性と大規模災害のリスクを無視すれば,1極集中は効率的システムには違いないが,現実のリスクを考慮すれば機能分散が合理性を持つ。結果的に調整官庁・査定官庁以上のものにはなりそうも無い。
震災後に最も不足した物資は燃料(特にガソリン)であった。「ガソリンが行き渡るように」という理屈で,数少ない開店スタンドでは「1回あたり10リットル」といった「配給制」が採られた。当初は大多数の会社が休業したため,「時間制約無しの保有ガソリン量最大化」を目的関数として行動する人が多数発生した模様である。同じ人が保有する車をすべて満タンにするまで何度も並ぶ,少しガソリンを使えばまた並ぶという行動が,スタンドの行列を必要以上に激化させたことは否めない。筆者の勤務先は休みにはならず,交通機関は止まったまま,スタンドに一晩並ぶ根性も無いため,勤務先に連泊を余儀なくされた。やはりfuel gaugeを確認して,半分以上ある人には給油しないと言った, "need-based"な配給方針を採るべきだったろうと思う。

東北地方太平洋沖地震の約1ヶ月前,仙台駅6番線で出発を待つ「スーパーひたち34号」651系付属編成。仙台を10:21に出て,終点上野には14:35に到着する。「ひたち」は2012年3月の時刻改定で系統分割され,いわき~仙台間はE653系の単独運転になる予定であった。しかし原発事故の影響で,向こう10年程度は計画が日の目を見ることは無さそうだ。(2011.2.6)

2月2日は山陰~北陸に掛けての日本海側は大雪となり,鳥取市の積雪量は翌朝までに60センチに達した。一夜明けた3日の鳥取駅前の太平線通(県道192号)。

2月2日の山陰線は福知山~倉吉間で抑止となるなど,鉄道はマヒ状態に陥ったが,鳥取駅構内の雪まみれのDE15 2052が前夜の活躍を物語る。(2012.2.3)

新幹線300系電車も,本年3月16日限りで引退することになった。近年は「のぞみ」の爆発的増加にも拘らず,通常300系が「のぞみ」の運用に入ることは無い。
300系は「のぞみ」専用編成として華々しくデビューしたが,当初は「のぞみ」2往復と昼間の「ひかり」1往復のみの運用で,「ひかり」との料金差額も大きかったため,滅多に乗る機会は無かった。
写真は登場後間もない,1日2往復時代の「のぞみ304号」。京都駅を21:34に出て,東京駅には23:48に到着する。入れ替わりに到着する下り列車は,21:36発の「ひかり277号」新大阪行で,100系G編成による運転。(1992.10.9)
大きな地図で見る航空写真中央に見える大青站の南側に本線より南東側に延びる長い青色の屋根が「陳列館」だが,その更に南側の柳線は殆ど空になっている。

しかし2010年3月時点には,この場所には大量の東方紅<3>型D級液体式DLが留置されていた。かつては東北一円で活躍したが,国鉄線から追われた後,調兵山などの地方路線で余生を送っていたが,既にそこでもお役御免になったと見られる。

中国に残る数少ない蒸気運転をする鉄道として,日本からもツアーが組まれるようになった,遼寧省の調兵山鉄道(鉄法鉱務局)の大青線・大青站に隣接する「蒸汽機車博物館」。付設の陳列館には,大量の上遊(SY)型蒸機が保存されている。写真左はプレートが塗り潰されて判読不能だが,資料によればSY1077号で軸配1-C-1。右手前はナローの保存機で,後方には当館唯一の建設(JS)型5029号機が見える。

蒸汽機車陳列館に沿って三線軌条が延びる。上のナロー機は動態保存機で,春節等の運転時には,この線路を使うのだろう。外側が標準軌で,内側のゲージはその半分より少し広いので,やはり762mmゲージだろうか。彼方には,大青線本線の信号機が見えている。(2010.3.30)

1999年4月に廃止された名鉄美濃町線末端区間の終点であった美濃駅跡には,512, 593, 601号と,札幌市から移籍した876号のカットボディが展示されている。512号は専ら揖斐線で運用されていたが,元々美濃電の車両。右端の593号は,晩年名鉄軌道線の旧塗装(岡崎市内線も同色)に復元され,2005年4月の600V区間全廃後に運び込まれたが,2011年春の火災で損傷し,修復工事中であった。(2011.6.26)

美濃町線の本来の起点は徹明町だったが,1970年6月からは600型複電圧車が田神線経由で新岐阜(現・名鉄岐阜)駅に乗入れるようになったので,新岐阜が運転系統上の起点になった。かつて美濃町線電車が発着した各務原線7番ホームは撤去されたが線路は残り,留置線として使用されている。写真は旧7番線に留置中の1704F。(2011.11.27)

かつて参宮快速が走った加太越え区間には,1970年時点で,725レ亀山06:05→京都08:29,727レ亀山17:16→草津19:38,722レ草津06:11→亀山から135レで和歌山市20:48,724レ京都13:37→亀山16:08の4本の客車普通列車が設定されていた(奈良方面からの客車列車は急行・紀伊のみ,他に荷物列車)。写真は加太駅停車中の727レ。牽引機はC58353[亀]でオハフ61312ほか4両の編成。

727レの柘植駅停車時間は不明だが,加太発17:41→柘植発18:32と,1駅区間に50分以上を要していたので,30分近く停車したはずである。その間に牽引機が付け替えられ,草津線区間はD51253が先頭に立った。隣には本線貨物のD51841が並ぶが,草津線区間の蒸機運転は1年後の72年10月に廃止された。(1971.8)
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